yukkuritabiのブログ

ゆっくり旅する

右と左とグローバリズム 1 プーチン

今世界の潮流としてある大きなものの一つとして最も強力なものがグローバリズムである。

 

これが今まで民主主義が対峙してきた共産主義などとは少し異なるのである。

 

独裁社会主義の代表とも言えるプーチンがこのグローバリズムとも対峙している。

 

プーチンはロシアという社会主義国家のトップでありながら、実に保守的な考え方でもあるのである。

プーチンは戦争を仕掛ける極悪人だと言うイメージがメディアでプロパガンダの様に流され、多くの日本人はそれを疑わない。

 

しかし、実際ロシアでの評価はまた違う。評価される理由の一つにソ連崩壊後のボロボロの経済を立て直したというのがある。

 

前大統領が推し進めた経済自由化で食い荒らされた外資を次々に締め出し国内で金を循環させる様に動いたのである。

 

 

 

 

 

 

 

三島由紀夫が理想としたもの 保守とは 1

クーデターの時、ビラにしてばら撒いた文

の中に書かれた文章。

 

その中で、

われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。

 

とある。

 

彼が嘆いたのは不甲斐ない当時の現状で、それはまさに歴史と伝統を蔑ろにして個人の経済的繁栄のみを求める日本人の姿だった。

 

それはまさにアメリカ的な個人主義のコピーの様なものだ。

 

こんな文もある、

シビリアンコントロール

アメリからしか来ないんだ

と。

 

現在のアメリカ左翼政党の押し付ける多様性を無理矢理飲まされる日本の状況も全く変わらない。

日本には豊かな多様性のある文化があるにも関わらず、多様性の尊重を強制し、何故か極めて一部のLGBTへの理解を強制する法律まで作成してしまった。当事者らが反対しているにも関わらずである。

 

まさにアメリからしか来ない。

日本からは漫画とアニメと車ぐらいである。

 

重要な歴史や伝統は蔑ろにされたままである。

 

韓流 ティーンネージャーに受けるわけ

韓流が気持ち悪い程テレビで拡散されているが、これは裏から資金注入、あるいは中のそちらの方からどんどんとした結果であって。

誰もテレビを見ない今、局の偉い方の懐の拠り所となってしまって最早歯止めが効かない。

 

結局これは更なるテレビ離れを加速させ、紅白ではなんと出場のタイミングのみ視聴率が激減する奇妙な事態にまでなってしまった。

アメリカが黒人、ゲイ、トランスジェンダーゴリ押しの中、日本は追従しなければならない宿命にあるのでもしかするとその結果かもしれない。

 

それでも一部ファンがいるのは事実である。

これは何なのだろうかと考えていたのだが、そういえば日本では奇妙なブームが定期的に到来しているのである。

 

ガングロ、顔を真っ黒にするやつ。

ビジュアル系ブーム、若い子達が、髪を伸ばして化粧してたやつ。

 

今は韓流とでも呼べるんじゃないだろうか。

これに共通するものは何なのかというと、若い世代により強い支持があるところである。

そして親世代から見てうっと拒否感を覚える物である。

 

では何で親世代に拒否されるものを好むのかというと、敢えて拒否されるものを選んでいるとも言えるのである。

ティーンにとって親は反抗の対象であり、親が嫌がることこそ身にまといたいし、受けるのである。

 

おたくがより熱く集中するのは、ある意味世間から白い目で見られる様な所に原因があるのとも少し似ている気もする。

禁じられるとより欲が強まるのである。

 

その要素と反抗という、単純であるが強い欲求に今スッポリとハマったのが韓流とでもいえる。

親への反抗はある意味社会への反抗でもあり、そこに何一つ合理的なものなどない。ましてや社会にとって有益な理由などない。

 

生物的な反応である。

しかし結局ブームは一過性のものである。

ビジュアル系も一時一世を風靡して、チャートを独占する様な時期もあったのだ。

 

歴史を学校で学ぶことすらない今、ひとつの希望はこのブームが自国と隣国の正しい歴史を改めて学ぶきっかけになればとう所である。

社会にとってこれ程良いコとはないんじゃなかろうか。きっと良いチャンスだと思う。

 

 

 

 

友愛時代の普通の価値

最近女性の間で人気のあるのが清潔感のあるなんたら。

只のブームであもあるし、金持ちをそふとに言い換えた様な言葉でもある。

 

ただ、いわゆるイケメンや突出した金持ちというものにそれほど価値を求めていない表れじゃあないのかとも思う。

 

上昇志向の薄れと共に高まってきているのが友愛の意識である。拒絶ではなく受け入れ、そして繋がりを重要とする社会である。

 

こういう社会においてはカリスマ的なものより、より共感性の高いものが大事にぬる。

普通が大事なのだ。今で言うとたぶん普通ちょっと上ぐらいが一番なんじゃないだろうか。

 

たぶんこれからは普通の人の時代である。

変に努力せず、他人を肯定する。そんな人間こそ強い時代になるんだろう。普通も時代によっては才能なのかもしれないのである。

 

 

ポリコレと左翼共産主義

ハリウッドとか広告、主に欧米でのポリコレがちょっと前から話題になってますね

 

ポリコレって何かと言うと、ポリティカルコレクトネスの略なんですが簡単に言うと、今までの白人優位主義やルッキズムに溢れたメディアを正常にしようという所です。

どちらかと言うと偏りをなくすのは良いことだと思うし、色んな見た目の方が広告や映画に登場するのも良いんじゃないかと思っている。

 

ただ何か違和感を感じるのが、なぜか極少数のトランスの方が異様に強調されている所。なんか無理やり感がある程にゴリ押し。

そして彼らの言い分は性は選べる。

 

もちろんゲイやレズに今までも選択できていたのだから、良いだろうと思うのだが足りないらしい。

もっと増やしたいと。もう全く訳がわからんのですよね。

 

もちろん制度上とか難しい問題があるのはわかるが、無理矢理教育にまでねじ込んで性は自由に選択できる、とか言う必要あるのかと。

 

弊害ももちろん出てきてしまっている。

変に影響、洗脳された子供が転換した後、ある時気づいて後悔する。

 

じゃあなんでここまでするのか、というところなのだが結局は共産主義イデオロギーままなんですね。

50年以上前からこうした方向に彼らは持っていきたいと掲げてたんですよね。

 

じゃあなんでどうやってと思うかもなんですが、左翼思想は実はエリートに多いんですよね。明らかに何か欠落している部分あると思うんですが、一部が見えてない人間にとってとても魅力的に見える様なんです。

 

そんなエリートですから、入りたい場所は選べるんですよね、映画でも広告でも新聞でも。

そこで出世してやりたい放題する。それが今の現在なんですよね。

 

保守に行き過ぎると外と摩擦が起きるんだけど、反対にも行き過ぎるとまた危険な思想が広がってるんですよね。

 

結局は良いとこどりをしてバランスとっていければ一番なんですがね。簡単にはいかないですね。

 

健康な人間は見下さないしマウントしない

ネットとか見てると う?え?って思う事がよくある。 

ネットの悪い所、良い所でもあるんだけど、どんな人間でも等しくコメントや書き込みが出来てしまう。

 

特に見ていて嫌悪感をもつのが露骨にマウントとったりしてるのを見るとき。

内面の発露が行動や言動になるのであって、大概そういう人って歪な精神状態にある場合が多い。

 

健康で自信のある人はそんなは事しないのである。

何でわざわざそんなことを、と思うのだが、まともな人間に通り魔の気持ちを察するのが困難なのと同様、わからないのである。

 

ヤバいものからは距離を取るのは大事なことつぁある。

必要なのは場所を選ぶことかもしれないなあと思うこの頃である。